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【連載】泡盛マイスターMr.砂辺と行く、泡盛発酵ツアー(3)琉球王国の古酒に思いを馳せて

ホテルコスタビスタ沖縄のチーフバーテンダーMr.砂辺。彼は世界中のあらゆるお酒に興味津々。
自分の知らないお酒に出会うことも楽しみの一つなのだそう。

そんな彼にとっての、泡盛への想いとは?

Mr.:泡盛の場合は、世界中のお酒と違って自国の、自分たちの島の酒なので、これは絶対勉強しないといけないっていう気持ちがあって。

でも、残念ながら戦争で資料がかなり燃えてしまって、みんなが必死に資料を探すんだけど、やっぱり残っていないので、90歳近い先輩たちから聞き取りをしてまとめている人たちもいるんですよ。
「この時はこうだったよ」とかって話を聞くと、「自分たちの昔の世界がこうだったんだ」って、ちょっとまた踏み込めた気持ちになるというか。

私:泡盛を通して見えてくる自分たちの歴史を知った喜び、みたいなものですか?

Mr.:そうそう。だから、当時、首里城では100年もの、150年ものの泡盛が保管管理されていたっていうのを聞くと、「ああ、飲んでみたい。どんな味わいだったんだろう?」っていうロマンを感じたり。
そして、150年ものの古酒がお城にあったってことは、つまり150年間は平和な琉球の時代があったんだなぁって当時を思ったりして。内戦があったら真っ先に奪われているはずだから。

当時、首里城では王様が旧正月に城下町の人を呼んで、お城に迎え入れて酒を振る舞ったという文献もあるんですよ。
昔の人は「ああ、貴重なお酒を~」って言いながらありがたく飲んだはずです。
そして、王様が立っている位置から、皆の顔が見れるような配置でみんなが並んでいたようです。
王様は、皆にお酒が回っているか見渡せます。そこには、平和な日々があったのかなぁ~って思ったりして。

私:その風景を想像すると、気品のある文化ですね~

Mr.:やっぱり、600年続いている歴史があるので、泡盛は。わかっている範囲で少なくとも600年。実はもっと遡るかもしれないですけれど。
Mr.: 泡盛は琉球王国にとっては、中国や日本などとの貿易のための大事な品物だったんです。
日本本土では、当時はまだ醸造酒しかなかったから、蒸留という一工程を加える技術がまだなかったんですよね。

発酵してできるものが醸造酒なんだけど、昔の日本のお酒は「口噛み酒」って言って、女性が口の中にお米を含んでから出すんです。すると発酵が進んでお酒ができる。それを、神に捧げる酒にしたという文献があったり。発酵は自然界で作ろうと思えば作れる。ただ、アルコール度数を20度(%)以上にするのはなかなか難しいと思いますよ。蒸留しないと度数は上がらないので。

泡盛は蒸留酒だから、当時はおそらく60度(%)に近いかなり度数の高いものを貢物として贈っていたといいます。
どこの国に行っても、泡盛は重宝がられたそうです。

この貴重な泡盛。琉球王朝時代に職人が30名しかいなくて、首里の城下町の地域限定で作られ、その泡盛は王様が管理していたんですよ。どこもかしこも泡盛を作ったら、品質が粗悪なものが出回ってしまうっていう危惧もあったと思います。
貢物や、首里城で国賓などの要人をもてなす時に使われるものなので、誰もが作るというわけにはいかなかったんだろうな、と。

私:現代の安価でいつでも飲める泡盛のイメージとは違って、高価な貴重品だったんですね~!

そういったことを考えると、泡盛により愛着がわくというか。まあ、嗜好品は嗜好品なんですけど(笑)
でも、単なる嗜好品、単なるお酒として片付けられないものがあるように思うんですよ。

(つづく)
配信日:2017.5.09

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