• #EMと共に生きる人々

大島を美しい景観の町にしたい! 地域のみんなの協力で続けてきた33年間

長崎県西海市大島町には、環境美化に取り組み、廃校の校庭を畑に変え、EMで発酵させた生ごみ肥料を使って無農薬のおいしい野菜を栽培している「環境美化を考える会」の皆さん。昨年「緑化推進運動功労者内閣総理大臣表彰」を受賞しました。その受賞の裏にある、長年の地道な取り組みと思いを伺いました。

環境美化を考える会 【長崎県西海市】
ここは、長崎県の大島(西海市大島町)。南には長崎市、海を挟み北には佐世保市があります。この島で環境美化に取り組み、廃校の校庭を畑に変え、EMで発酵させた生ごみ肥料を使って無農薬のおいしい野菜を栽培している「環境美化を考える会」の皆さんを尋ねました。
 
環境美化を考える会の皆さんは、昨年(平成28年)、「緑化推進運動功労者内閣総理大臣表彰」を受賞しました。その受賞の裏にある、長年の地道な取り組みについて、会長を務める田口昭子さんにお話しを伺いました。

 
現在、80歳の田口昭子さんは、結婚して大島に来て以来、美容室を経営しながら長年この島で暮らしてきました。大島は、明治35年(1935年)に炭鉱が開かれ、炭鉱の町として栄えました。昭和45年(1970年)に閉山されると、人口は3分の1ほどに激減しましたが、田口さんは夫婦で島に残ることを決めました。昭和48年(1973年)に造船所の誘致が決まり、再び多くの人が大島に渡ってきましたが、その頃から、道路にゴミのポイ捨てが目立つようになったのだそう。空き缶やお弁当など様々なゴミで溢れ返った様子をずっと見ていた、田口さんは「これはなんとかせんばいかん」と思い立ち、33年前、47歳の頃から一人で空き缶拾いを始めました。
 
田口さん:
朝、仕事をする前に自分でコースを決めて、夏は4時過ぎから空き缶を拾いました。一か所にゴミ袋を集めて、ゴミ拾いが終わるとそれを自分の車に乗せて回収。それを続けました。
 
それまで離島だった大島に橋をかけ、車で往来を可能にする計画が決まりました。田口さんは、橋を渡ってくる町外の人たちを、なんとか美しい景観で迎えられる良い町にしたいという思いが生まれ、空き缶やいろんなゴミを拾い、草を刈り、空き地に花を植えたりしました。大島大橋が開通した平成11年(1999年)頃には、自分も一緒にやりたいという人が増え、14、15人くらいの仲間ができていました。
 
田口さん:
大島大橋が開通した年に、その当時の仲間と一緒に「環境美化を考える会」を立ち上げたんです。私たちは草刈り機を4、5台使ってボランティアで道路の草を刈り、落ち葉を拾って、90リットルのゴミ袋が40袋とか50袋くらいの量になりましたよ。私たちの清掃ボランティアの活動を行政も評価してくださって、それだったら廃校になった学校を使ったらどうかと提案していただきました。
 
九州では、道守(みちもり)という「道」に関わるボランティア運動があります。平成16年(2004年)に、「道守九州会議」というNPO、市民団体、個人などで構成する民主体のネットワークができ、情報交流を促進し、ボランティア市民と国や自治体や道路管理者などの行政が連携した協働の取り組みを行っています。田口さんは、この道守九州会議の長崎県の副代表世話人を務めています。

 
また、長崎県で生ごみの減量化の取り組みが開始された時(2004年)に、当時の大島町役場の課長さんから勧められて、EMを使った生ごみの肥料化もやりはじめ、その肥料を使って野菜を育て始めました。同時に、長崎県生ごみ減量化パートナーシップ推進事業にも参加し、県の依頼を受けて保育園、幼稚園、小学校などへ生ごみリサイクルの講師として行くようになりました。学校の総合学習の中に組み込まれ、年間を通して、EMボカシ作り、生ごみとEMボカシを混ぜて畑に入れる肥料作り、種まき、収穫、調理という一連の授業を行っています。
 
田口さん:
幼稚園の時に教えた子が、もう高校まで上がっていますよ。道で子どもたちに会うと、子どもたちが「田口さーん」って声をかけてくれます。EMボカシ作りの時、「田口さん、これ、もろみのにおいがする~」って言う子がいましたよ。もろみを知っているのは驚きました。においの変化も勉強になるんですよ。
 
 
廃校の畑で育てた野菜はずっと、地域のみんなに分けてあげていましたが、3、4年前に、西海市の職員の方から、野菜の加工所を作って販売してはどうかと勧められ、総務省の助成金をもらって2年前に加工所が出来上がりました。

 
また、田口さんたちシニアの皆さんに混じって、4年前に一人の若者がメンバーに加わりました。谷口雅樹さんは、農業高校を卒業してすぐに「環境美化を考える会」に入りました。普段は、廃校の畑の野菜の栽培管理を行っています。
 
谷口さん:
大学に行くか就職するか悩んでいた時、今一番したいことは農業だと思って、農業できる場所を探していた時に、田口さんに出会いました。当時、有機農業に対するイメージは体力を使って作業がきつく、野菜に虫もつくと考えていました。でも、話を聞いてみたらEMを使うとか、虫もつきにくい野菜ができると聞いて、そこに面白みを感じて、やってみようかなと。

 
現在、田口さんたちが廃校の畑で作るEM栽培の野菜や漬物などの加工品は「元気やさい雅(みやび)」という名前で西海市内の特産物直売所「よかところ」で販売しています。まだJAS認証を取得していないため、無農薬とは表記できませんが、農薬や化学肥料を一切使わず、EMを使って栽培した元気野菜です。
 

直売所「よかところ」の鉢川さんにお話しを伺ったところ、ここに並ぶ野菜は、栽培方法は様々ですが、すべて地元の西海市でその日に収穫された新鮮な野菜たち。美味しい野菜を求めるこだわりのお客さんが佐世保市や佐賀県、福岡県から買いに来られます。また、口コミで評判が広がり、東京や大阪など都市圏の個人や料理屋さんからの宅配の注文も年間1万件程度あるのだとか。
 
大島町では毎年7月に長崎西海トライアスロンが開催されます。田口さんたちは、選手たちの完走パーティーの調理部門を担当し、今年の第25回大会では、なんと1000人分の料理を15品目用意しました。すべて手作りです。4月頃から畑で採れるEM野菜を使って、少しずつ下ごしらえをした食材を冷凍保存して大会向けて準備をします。疲れた選手の気持ちを考え、のど越しが良く吸収する料理を考えています。鶏肉のトマト煮や、アジフライ、巻き寿司、押し寿司、炊き込みご飯、そうめん、ところてん、寒天など。その食材の調達方法から、調理の手間のかけ方には脱帽です。(寒天の天草は、自分たちで採ってきたもの。お寿司用のでんぶは、釣り人から提供された地元の魚から調理。そうめんの出汁は何か月もかけて寝かせて熟成。)
 
田口さんのお話を聞いていくと、地域の個人や団体、地元企業、社会福祉協議会、学校、行政などが一丸となって町を活性化し、盛り上げていこうという、人の人との繋がりをとても強く感じます。

 
田口さん:
トライアスロンする時は、大島造船所の所長さんがご夫婦でかけつけてボランティアしてくれたり、国交省の河川事務所の所長さんも家族で来て手伝ってくれたり、肩書きとかではなく、仲間としてのその繋がりがね、とても嬉しいです。
 
大島町のお隣の崎戸町にあるダイヤソルト株式会社も、田口さんたち「環境美化を考える会」のボランティア活動を支えてくれている企業の一つであり、田口さんたちと同じように「道守(みちもり)」の道路環境美化活動にも取り組んでいます。

 
  • 五島灘の塩」なども製造している、ダイヤソルト株式会社 崎戸工場の皆さん。
    田口さんたちのボランティア活動をいつも支えています。
田口さん:
私たちのグループは、企業さんに後押しをしてもらって活動をしやすくしてもらっています。ダイヤソルトさんは、例えば、ながさきサンセットロードの空き缶拾いやるからお願いしますと言うと、社員の方たちが協力してくださる。私たちを気にとめてくれて、私たちをやる気にさせてくれるエネルギーをもらっていて、とても励みになるんですよ。

 
田口さんたちの活動はまだまだあります。
今年7月に、社会福祉協議会の方にもボランティアを集める協力をしてもらい、地域の方120人余りと、小学校の子どもたちに集ってもらい、水質悪化で悪臭の出ている池を浄化するためのEM団子を15,000個ほど作りました。廃校の1階の廊下に所狭しと置かれたEM団子! 発酵させて乾燥させた後、池に投入されます。

 
田口さんがたった一人で空き缶拾いを初めてから33年。いつも思いを実行に移してきました。しかし、自分の思いだけでなく、周りから求められることが多かったと言います。
 
田口さん:
相手も必要として求めているのだから、できないことでもできるようにする。目の前の課題に迷わず挑戦する、逃げない。できないことを実行に移していく。それが私の信念です。できんことはなか。道を開いてできるようにする、それが楽しみです。


田口さんは現在80歳ですが、歳を考えたら何もできなくなると、考えないようにしているのだそう。「歳は折り曲げて、40歳って言ってます」と語る姿は元気そのものです。
若いころから添加物などの化学物質を体に溜めないように気を付ける生活をされてきた、その積み重ねの効果もありそう。
周りの皆さんにとっては、田口さんは人生のお手本。いつも元気に、明るく挑戦する姿と、そのエネルギーが仲間に感動と勇気を与えてくれます。


取材日:2017年5月25日(U)
 
関連する読みもの