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世界初の完全有機農業の州はどうやって誕生したのか?インド シッキム州を取材

インドの北東部、ヒマラヤ山脈の山岳地域に、政策として有機農業を推進するシッキムがあります。約6万人の農家の農地が2015年末までに全て有機認証を取得した、世界初の100%有機農業の州です。農家の生活を向上させる進歩的な完全有機農業化をどのように実現したのか、その秘密に迫ります!

 

インドの北東部、ヒマラヤ山脈の山岳地域に、政策として有機農業を推進するシッキムがあります。約6万人の農家の農地が2015年末までに全て有機認証を取得した、世界初の100%有機農業の州です。農家の生活を向上させる進歩的な完全有機農業化をどのように実現したのか、その秘密に迫ります!

国連食糧農業機関(FAO)の未来政策賞2018の金賞を受賞!

当時シッキム州の首相だったチャムリン氏が、シッキムを世界初の有機農業の州に変えた功績により、2018年の未来政策賞の金賞を受賞。「世界の農業生態学を促進する法律と政策」の中で最高の政策であると世界に認められました。
  • ©Tayakhim Media
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インド シッキム州はどんなところ?

地理
ヒマラヤ南麓のネパールとブータンの間に位置し、州の大部分は山、氷河、森林。厳しい自然に囲まれ、インドの秘境とも言われています。インド28州のうち人口は最も少なく、面積はゴア州に次いで2番目に狭い州です。
 
  • シッキムの州都。シッキムの人口は、半数が35歳以下。ガントクを歩いていても「若者が多い!」という印象を受ける。建物の色が鮮やかで、明るく活気がある。
  • 世界第3位の高峰(8,586m)で、ネパールとインド・シッキム州の国境にある。
グルメ
唐辛子が効いていて全般的に辛いが、納豆、タケノコなど日本人には親しみやすい料理が多く美味しい。お米はインディカ米。カレーの種類はとにかく多い(スパイスが豊富)。下の写真は鶏の唐揚げにカレーをかけた料理。
カルチャー
シッキムで人口比率の高い移民のネパール人はヒンドゥー教だが、古くからシッキムにいた民族はチベット仏教で、伝統的にはチベット文化圏。仏教寺院は人気の観光スポット。

どうやって誕生したの?シッキムの完全有機農業化への道のり

大きく4つの時期に分けられます。完全有機農業化を表明するまでの準備期、制度や設備を整えた農業改革期、有機認証取得に向けた目標達成期、そして完全有機農業州となって以降の発展期です。

1960年以降
伝統農業から近代農業へ
穀物の生産量を増やす近代農業(緑の革命)の波がインドにも押し寄せ、徐々に浸透してきた時代。シッキムでも一部の農地で化学肥料や農薬の使用が始まる。

1994年~
まずは身近な森林を守ることから始まった「森林の環境保護政策」
ヒマラヤ高山を開発し経済発展を急ぐよりも、自然環境を守りながら堅実に発展させることを選択し、水力発電の建設を中止するなどの政策を決定。

シッキムの政権交代
政権交代によりパワン・クマール・チャムリン氏がシッキムの首相に就任し、環境保全を優先する政策をスタート。

1999年2月
「インドで最も環境に優しい首相」受賞
チャムリン首相が、インドで有名な環境NGO科学環境センター(CSE)から、インド22連邦州の中で「最も環境に優しい首相」の称号をもらう。シッキムの環境保全の政策を本格的に考えていく重要な転機になる。

2003年
EM技術がシッキムに入る
農業資材としてEMが使われ始める。畜ふんをEMで発酵させ、臭いの少ない良質な堆肥が短期間で出来上がった。

「完全な有機農業の州を目指す」ための制度と実践的なプログラムの提供
実現への最初の一歩として、州政府がアクションプラン2003とロードマップを作成し、有機農業化に関する憲法を公布。そして、有機肥料の生産設備や、種子や土壌の研究機関などを整備。
州政府は良質な堆肥ができるEM技術を活用し、そして「EMバイオビレッジプログラム」を提供。農家にEM有機堆肥の作り方などを指導し、EM資材は州政府から無償提供された。1.4万人がEMの活用方法を学び、約5,700ヘクタールの農地で活用された。

2003年3月
「完全な有機農業の州を目指す」宣言!
シッキムを「完全な有機農業の州」にするために、州政府が政策的介入をすることを州会議で宣言。インド政府との間で化学肥料の補助金撤回の覚書を交わす。

2005年
化学肥料の流通を廃止
インド政府からの化学肥料の補助金の受け取りを完全に取り止める。これにより、州内で公式に流通する化学肥料がなくなる。

2010年
いよいよ完全有機農業化に向けた最終段階「シッキム・オーガニック・ミッション」
7年間で有機農業の基礎ができ、いよいよ農地を有機認証する段階に。国際的にも高水準の有機農産物の地位を確立するため、必要な設備、制度、栽培技術などを構築。

2010年8月
農地の有機認証を取得する!シッキム・オーガニック・ミッションを開始
州政府は、2015年までに州内すべての農地で有機認証を取得させるための3年間の行動計画を策定し、政策を実施。

2015年12月
全ての農地の有機認証が完了!
191グループ約6.6万人の農家の約7.6万ヘクタールの農地において有機認証の取得が完了。この時点で、シッキムの完全有機農業化が達成される。

2016年
有機農産物の販売拡大へ
持続可能な販売拡大のために、商品ブランディング、輸出網、収穫物の貯蔵設備の整備などについて、積極的な取り組みが続く。公立学校の標準コースにも有機農業のカリキュラムが追加される。

2016年1月
世界初!完全有機農業州を宣言!
州都ガントクで開催された「持続可能な農業と農民の福祉に関する全国会議」の全体会議にインド政府のモディ首相(左)が出席。シッキムのチャムリン首相(右)と共に、完全有機農業州を公式に宣言。

2018年10月
国連の未来政策賞 金賞を受賞!
シッキムを世界初の有機農業の州に変えた政策が讃えられ、国連食糧農業機関(FAO)から2018年の未来政策賞の金賞を授与される。
  • シッキムを有機農業州にしたことで、農家の家庭や集落での衛生環境が改善され、収穫量と収入も増加。
  • 話題を聞いた観光客の増加も見られた。国内外からシッキムを訪れる観光客が毎年10~15%増加。

シッキムとEM菌との出会い

マダン・モハン・モハンカ氏(メイプル・オーガテック社 会長)
機農業推進の土台を支えたEMは、どのようにシッキムへ伝わったのでしょうか。そのルーツを知る人物にお話を伺いました。

※EM(通称:EM菌*)はEffective(有用な)Microorganisms(微生物たち)の英文の頭文字に由来しています。その名の通り、特殊なひとつの菌ではなく、乳酸菌や酵母、光合成細菌など、どこにでもいる微生物で、人間にとっていい働きをしてくれる微生物の集まりです。


飛行機の中での出会い
2002年、東京発バンコク行きの飛行機の中で、私の隣の席に偉大な先生が座っているとは思いもしませんでした。その人は日本人の大学教授、比嘉照夫氏でした。比嘉氏からEMについての話を聞いた時、私には貧困農家の助けになる可能性のある技術として映りました。タイ国サラブリー県でEMの使い方の研修が受講できると教えてもらい、すぐに私は甥をタイに送ろうと決めました。甥は5日後にはサラブリーの研修所に到着していました。そして1週間の研修を受けて帰国し、当時甥が住んでいたインド北西部からEMに関する取り組みを始めました。
EMの製造開始、そしてシッキムへ
インドの農家の収入は月30ドル程度で、そのため1日2食しか食べられない農家も多いのです。これらの貧困農家の現状を変えたいというのが、私がメイプル社を立ち上げた動機です。2002年には小規模なEM製造拠点を完成させ、シッキムへのEMに関する営業はスタートさせていました。2003年にコルカタで本格的なEM製造工場を立ち上げ、「有機農業の総本山」と命名しました。

当時、シッキムでは堆肥作りが上手くいかず困っていました。そこで我々は無償で各村各地区の州政府職員に対して20人単位で1週間のEM教育プログラムを実施しました。その後、州政府の政策に協力して有機農業化に取り組みました。メイプル社は、EMの活用で直接・間接的に農家の生活を改善することにより、1.5万戸の貧困ライン以下だった農家をライン以上に押し上げました。
 
これからの新たな活用法
2019年9月、私はEM技術の開発者である比嘉照夫氏をシッキムの州都ガントクに招き、農地の視察と講演をお願いしました。比嘉氏は私たちに最新のEM技術の情報や新たな方面での活用案を授けてくれました。農地の獣害対策は間違いなくインドの農家のためになることですから、今後取り組んでいきたいと考えています。

成功のカギはどこにあったのか?

完全有機農業化の実現は、多くの関係者の想いと努力の賜物です。立場の異なる人々の想いが響き合い、皆で一つの方向へ進むことができたこと、これがシッキムを成功へと導きました。彼らの想いと行動から、完全有機農業化の成功のカギを探ります。
01 決断 ヒマラヤの自然を守ることが、シッキムと世界のためになる。
シッキムは、何を守り、何を変え、そして何を得たのか?

プレム・ダス・ライ氏(政治家)
皆さんご存知の通り、私たちは世界的な気候変動という課題を抱えています。この課題に対して我々の地域が何をすべきかを考えた時、最も重要なことは、ヒマラヤ山脈の環境を汚染しないことです。そのためには、山に暮らす我々が有機農業をすること、これが最善の方法です。シッキムの人々が使う水は飲用も農業用も全てヒマラヤの氷河の融水です。

2003年の「完全な有機農業の州を目指す」宣言は大きな決断だったと言われますが、私自身の人生においてはその時が転換点ではありません。シッキムに生まれ、育ち、幼少の頃から自然を守りたいと思っていました。そして有機農業とグリーン・ツーリズムを行うことで、シッキムがもっと良くなると考えてきたので、有機農業州を目指すことはごく自然なことでした。

 21世紀目前の1999年、チャムリン首相はインド国内の有名な環境NGOから「インドで最もグリーンな(自然を大切にする)首相」の称号を受けました。シッキムが最もグリーンな州であるとインド国民に認識された上で、更なるグリーンな州になるにはどうするかが問われました。これがオーガニック・ミッションへと進むきっかけになったと思います。

州政府が自然を大切にする政策を策定するにあたり、農業分野では全ての化学的な肥料や農薬を取り除き、新たな有機農業の技術を導入することを計画しました。

有機農業化の恩恵は、生産者も消費者も皆が受けています。消費者は手頃な価格で有機農産物を購入できます。(州内での販売価格は10%高いくらいに抑えられています。)そして、有機農業と健康はつながっていることを皆が再認識しました。観光客もオーガニックな食事ができることで健康を感じます。(つまり、観光客の増加、観光収入の増加にもつながります。)
 

押さえておきたいポイント
山に囲まれたシッキムはそもそも農業に不利な自然環境


シッキムでは農地のほとんどが山の斜面にあるので、農業の大規模化・機械化は難しい環境にあります。また、農家の貧困問題もあって、化学肥料の普及もそれほど進んではいませんでした。そのため、生産性が低い、古くからの伝統的な農業に頼っていました。

もしも化学肥料を多用していく道を選んでいたなら、山の斜面の土壌が健全性を失い、今よりもっと深刻な地滑り災害を招いていたでしょう。既に90年代には急速な森林開発を行い、登山家の捨てたビニール袋が渓流をせき止め、人災の地滑りを引き起こしていました。


 
02実践 社会全体と個人の利益が一致するところで勝負する。

誰でも自分の利益につながることには好意的です。州政府が手にしたEM技術はまさに、個人の利益と社会全体の利益を一致させました。これまでの伝統的な有機農業は、生育が悪く収穫量が少ない、生活は困窮するという農家にとっての不利益がありましたが、善玉菌を用いた発酵技術を加えることで収穫量を増やし、収入を増やすことが可能になりました。

プレム・ダス・ライ氏(政治家)
人の利益と社会全体の利益を一致させました。これまでの伝統的な有機農業は、生育が悪く収穫量が少ない、生活は困窮するという農家にとっての不利益がありましたが、善玉菌を用いた発酵技術を加えることで収穫量を増やし、収入を増やすことが可能になりました。


2003年から2010年のバイオビレッジプログラムにおいては、EMの果たした役割は大変大きいものでした。当時はまだ競合他社がシッキムに進出していなかったので、農家に新しい有機農業を普及させる立ち上げの時の苦労は全てEMが担いました。その貢献はまさに壮観です!
当初、農家は有機農業に対する理解が乏しく、どんな利益があるのかを知りませんでした。そのため農業のやり方を色々と変えなければならないことに不満でした。農薬・化学肥料を使う農家を有機農業に転換させることはとても難しく、その他にも様々な立場の人々が有機農業化に反対でした。

州政府は、農家がEM資材を無償で手に入れられるように、EM資材の費用を全額負担しました。(現在は複数の微生物資材があり、農家は好きな資材を選べます。)

また、有機農業に転換した初期には収穫量が減ることがあり、その場合には補助金を渡しました。これらは、農家にとって直接的な利益です。農業生産の成果が現れてくると、反対していた多くの人々は、賛成に変わりました。今は皆が有機農業に満足しています。そして有機農業への転換によって、国民の環境保全への責任感も生まれていると思います。


ドゥワリカ・ナット・サプコタ氏(マスター・トレーナー農家
EMの説明を聞いた時に、良いという直感がありました。EMを信用したというよりも、私自身の直感を信じました。まずはやってみようと決めて、3年間実践しました。様々な作物での活用法も学び、そしてEMの効果も確認できました。
EMは自然そのものです。自然に優しいことをして生きているという実感を与えてくれ、それが自信となります。人も環境もEMによって良い変化を起こします。私は満足しています。

 マダン・モハン・モハンカ氏(メイプル・オーガテック社 会長)
農家のEM技術によるもう一つの利益は、「汚水処理」「水質改善」など家庭内の衛生面を改善できたことです。家族が病気にならずに暮らせて、健康に良い有機農産物が生産できるようになり、収穫量と収入が増え、生活の向上につながりました。
 
03継 コミュニティ単位で展開する、諦めないで地道に続ける
成功への流れを作り出す。達成するまで続ける。

有機農業への転換は、最初からトントン拍子に上手くいったわけではありません。まず、多くの農家に生産的な有機農業への転換の価値の説明と講習会を続けました。そうして、農家が有機農業の大切さと、効果を実感できるところまで地道な努力を続けたのです。

効果的だったのは、農村の地区単位で活動を展開したこと、及び指導者的立場のマスター・トレーナー農家を養成したことです。州政府の各地区担当者とメイプル社の社員が農村を回って講習会を行いました。皆で一緒に同じ課題に取り組むという状況は、互いに情報交換をして協力し合う意識も育みます。そして、その農家コミュニティに対して継続的にフォローをすることでプロジェクトへの理解と成果が深まります。

また、州政府は農村の若者向けに、有機農業で生計を立てるために必要なことを様々な側面から学ぶ生計学校を開設するなど、教育に力を入れています。

 
  • マスター・トレーナー農家は約150名ほど養成され、2010年までに約1.4万人の農家がEM技術を学びました。
  • 生産的な有機農業に転換するためのトレーニング内容は、主にEMの自家培養、EM堆肥の自家生産、病害虫対策などです。

シッキムの完全有機農業化という偉業から私たちが学べることは何でしょう?

Clean air, Clean water, Good food,What else?(きれいな空気、水、おいしい食べもの。他になにか要る?)
■広い視野で問題を見極めて、決断する
長期的に自然の恩恵を得られ、経済的にも豊かになれる道を選択しました。

■個人と社会全体の利益が一致することを実践する
農家は収入が増え、国民は健康的な食材が手頃な価格で手に入り、自然環境が守られて、生活基盤が安定します。

■一人ではなく仲間で実践を続ける
マスター・トレーナーが周りの農家をフォローしているので、継続も改善もしやすくなります。
 

日本の皆さんへのメッセージ

 マダン・モハン・モハンカ氏(メイプル・オーガテック社 会長)
私の父は小さい商店主で、貧乏をしていた頃から可能な範囲で困っている人を助けていました。これが私の原点です。私も教育を受けて社会人になり、父と同じような道を歩んでいます。私は人にしてあげられる最高の行為は教育の機会を提供することだと思います。
日本の皆さんも有機農業化はできると思います。私たちができるのだから。諦めないことです。仕事だと思えばできない、今生の使命だと思えばできます。まず、農家、消費者、農業に関わるすべての人を教育する必要があります。そして農家の収入を増やすことが一番大事で、経済性を高めれば有機農業への転換点は見えてきます。

ドゥワリカ・ナット・サプコタ氏(マスター・トレーナー農家)
私は、EMは世界で一番偉大だと思います。農業では良い作物が収穫できるようになり、環境や自然を守り、自分と周りの人々の健康を守ることができるからです。自然の力であるEMを活用していくことがこれから求められるようになるはずですから、EMを使い続けましょう。

プレム・ダス・ライ氏(政治家)
EMは個人的に10年以上使っています。ランや野菜を育てる時にEMが素晴らしい仕事をしてくれています。そしてEMを使っている室内は心地よくて清潔で、私は毎日、自宅で森林浴をしている気分です。EMさん、ありがとう!